若者たちの挑戦

山極壽一 (京都大学総長 / PWSプログラム分担者)
2014年11月16日

◎過大な期待は将来奪う

京都大学の田中英祐君がロッテからドラフト2位の指名を受け、プロへの道を歩み始めた。最速149キロの速球投手。関西リーグで勝利をもたらし、京大の60連敗を止めた。その後、強豪を相手に通算8勝を挙げている。あいさつにやってきてくれた田中君に、私は「失敗を恐れず、文武両道を貫いてほしい」と激励した。契約すれば、京都大学初のプロ野球選手となる。大いに活躍してもらいたい。いくら才能があるとはいえ、高校のときからプロを目指して野球の英才教育を受けてきたわけではない。学問にも未練があるだろう。本人もずいぶん迷ったことだろうと思う。

でも私は、まだ京大生が選んだことのない道に挑戦しようとする田中君の決断を大いに歓迎したい。自分の将来はそんなに簡単に予測できるものではない。自分にどんな能力が眠っているか、自分のどんな経験が生かせるか、やってみなければわからない。重要なことは、失敗をよき経験として新しい可能性に絶えず挑戦することである。

人間は生まれついた時から、周囲の期待によって自分を作っていく。両親から、親族から、地域から、学校から、次第にその期待が大きくなって、自分の能力に自信を持つようになる。人間の子供は負けず嫌いだ。他の子供たちに負けまいと振る舞ううちに、仲間と違う自分の才能に気づく。周囲もそれを伸ばそうとして働きかける。しかし、期待通りに能力が開花して成功するとは限らない。途中で挫折することも、運に見放されることもしばしばある。残念なことに、昨今の日本の社会は失敗を認めない風潮がある。周囲の過剰な期待が個人を追い詰め、夢を打ち砕くことがしばしばある。東京オリンピックのマラソンで銅メダルを取った円谷幸吉選手が、自ら命を絶ったのも、過大な期待に応えられなかった自分を責めたことが原因だった。

周囲の期待が国全体の期待に拡大すると、ときとして個人の自由を束縛し、将来を奪うことがある。京都大学の時計台にある迎賓室には、一枚の絵が掲げてある。学生服を着て銃を持ち、出陣していく学徒たちを描いた、何とも暗い色調の絵である。この絵を描いた須田国太郎は京都大学文学部哲学科で美学を学び、その後関西美術院でデッサンを修業し、スペインのマドリードを拠点に画家として活動を始めた。この絵は、1943年11月20日の出陣学徒壮行式の様子を、当時文学部講師だった須田が描いたものだ。京都大学文書館の研究紀要第5号によれば、須田はこの壮行式について、「総長の送別の辞、マイクが山彦(やまびこ)して一句々々肺腑(はいふ)を衝(つ)く、残留生代表壮行の辞、出陣代表の答辞、これにつづいた分列行進、いづれも沈痛なる悲壮そのものである」と記した上で、「武人が武人としてではなく、武人としての学生を我々は、この壮行式に於いてみてゐるのである。そこには何等の華々しさはない」と当時の新聞に寄稿している。この絵は戦後行方不明になったが、79年に倉庫から発見されて総長室(現在の迎賓室)に飾られるようになった。海外からの来賓が時々、この絵に目を留める。学徒出陣の精神高揚を意味したものかと尋ねる人がいると聞く。私はその真の意味を伝えたいと思う。

学問の都である京都大学でスポーツに秀でたプロ選手が育つのは、とてもうれしいことだ。自由の学風を伝統とするこのキャンパスで磨いた知性や能力をぜひ、スポーツに生かしてほしい。田中君の挑戦をみんなが期待して見守っている。しかし、その期待をむやみに拡大して田中君の将来の可能性を摘んではいけないと思う。彼にはきっと、野球以外の世界で活躍する才能もあるに違いないからだ。個人に一つの能力だけを期待し、それを果たせない人々を見捨てようとする社会は生きづらいし、創造の精神は発揮できない。

そして、私たちは若者への期待を国のレベルに高めるとき、本当に彼らに輝かしい人生を与えることになるかどうかを慎重に考えなければならない。子供たちは周囲の期待に応えようとして育ち、自分の能力を伸ばしていく。称賛は若者にとって最も効果的な成長の糧なのだ。しかし、それをいいことに学生の愛国心をあおって戦いへ駆り出すようなことがあってはならないと私は思う。学徒出陣はその最悪の例なのである。

この記事は,毎日新聞連載「時代の風」2014年11月16日掲載「若者たちの挑戦・山極寿一」を、許可を得て転載したものです。