あらしのよるに

山極壽一 (京都大学総長 / PWSプログラム分担者)
2015年11月01日

◎「敵」を作り出す人間

この秋、京都の南座で「あらしのよるに」という新作歌舞伎を見た。中村獅童がオオカミのガブを、尾上松也がヤギのメイを演じる。獅童のだみ声と松也のすっとんきょうな声音がオオカミとヤギにぴったりで、見事なはまり役である。

ある嵐の晩に、小屋に逃げこんだガブとメイが、暗闇の中でお互いの正体がわからないままに話をしながら仲のいい友達になる。翌日の昼に再会を約束して、顔を合わせてみたら食う、食われるの関係にあるオオカミとヤギだったというわけだ。二人は互いの動物の領域で煩悶(はんもん)する。オオカミにとってヤギはごちそうだし、ヤギにとってオオカミは天敵だ。それぞれが仲間に説き伏せられて心が折れそうになる。しかし、最後にそれまでの歴史的関係よりも、あらしのよるに友達になった気持ちを優先して、手を取り合って歩むという物語だ。

たわいもないファンタジーと言うなかれ。ここには意外な真実と可能性が描かれている。ヤギはオオカミに食べられるものという常識はいったいだれが決めたのだろうか。オオカミはヤギを食べなければ本当に生きていけないのか。ヤギにとってオオカミは永遠に天敵なのだろうか。

実は、こうした一見常識に見える絶対的敵対関係を、人間は勝手に作り、そしてまた勝手に解消してきたのである。私が長らく研究してきたゴリラはその人間の身勝手な常識に翻弄(ほんろう)されてきた。19世紀の半ばにアフリカで欧米人により「発見」されて以来、ゴリラは凶暴なジャングルの巨人として有名になった。人間を襲い、女性をさらっていくという話を真に受けて、多くのゴリラが殺された。逆に、中央アフリカの低地ではゴリラは肉資源として昔から狩猟の対象にされている。人間はゴリラにとってオオカミのような存在なのだ。しかし、ゴリラの平和な暮らしが明らかになると、その見方は一転し、今度は人間の大切な隣人として観光の目玉になった。低地でもゴリラはもはや食料とは見なされなくなりつつある。

人間どうしの関係でも同じことが言える。江戸時代には、日本人にとって白人たちは人間を食う鬼と見られていた。第二次大戦中、鬼畜米英と呼んで抱いた恐れと憎しみはいったい何だったのか。今だって、テロ集団やテロ国家は抹殺せねばならない存在とされている。彼らと平和に共存することは本当にできないのだろうか。

昔から寓話(ぐうわ)やファンタジーは、動物の姿を借りて人間社会の機微を描き出し、私たちが見習うべき教訓を語りかけてきた。「あらしのよる」から私たちは何を学ぶのか。それは一見とても変更しようのない関係も、気持ちの持ち方で変えられるということだ。知能の高い人間だけに可能な話ではない。野生のチンパンジーも時折肉食をする。タンザニアのマハレで50年も研究を続けている日本人研究者によれば、近年獲物の種類が変わってきたそうだ。昔はイノシシやカモシカの仲間を食べていたのに、今はほとんどサルしか食べない。これはチンパンジーの狩猟イメージが変わったためだという。

アフリカでは、人間を襲うライオンもいるが、人間に敬意を示して距離を置くライオンもいる。それは、ライオンと人間双方が長い時間をかけて友好的な関係を築いてきたからだ。私はゴリラが人間の食料にされていた地域で、武器も餌も使わずにゴリラと仲良くなろうと努力してきた。最初ゴリラたちは私たちを見るなり逃げ去り、追うと恐ろしい声をあげて攻撃してきた。突進を受けて、私も頭と足に傷を負った。しかし、敵意のないことを辛抱強く示し続ければ、ゴリラは態度を変えて人間を受け入れてくれる。10年近くかかったが、やっとゴリラと私たちは落ち着いて向かい合えるようになった。

このように友好的な関係になったのは、この地域ではたった一つの群れだけである。他の数万のゴリラたちはまだ人間に強い恐怖と敵意を抱いている。しかし、それがいつか変わる日が来ると私は確信している。それは人間社会にも言えることではないだろうか。ぜひ「あらしのよる」を体験してほしいと思う。

この記事は,毎日新聞連載「時代の風」2015年11月01日掲載「あらしのよるに・山極寿一」を、許可を得て転載したものです。